ダメ人間のつぶやき

日本大好きなダメ人間 MMORPGアスガルドやりながら愛国運動中!!

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ポーランドと日本 

まいど。

4月3日は鎌倉へおいで下さい♪
4月3日鎌倉へ


A/Tさんの漫画拡散お願いします^^




以前の記事、日本の心をつたえるいい話シリーズですが、少し加筆修正いたしました。
ポーランド孤児と大和心

本日は、ポーランドとの出来事を追記したいと思います。

昨年の、天皇陛下御即位20周年をお祝いする国民祭典での出来事です。
内外の著名人が大勢集まる中、最初に祝辞を述べられたのは駐日ポーランド全権特命大使のヤドヴィガ・マリア・ロドヴィッチさんでした。
彼女はおもむろに原稿を広げたかと思うと、流暢な日本語で祝辞を述べられました。
祝辞の内容です。

天皇皇后両陛下、お集まりの皆様

 外国人として、またポーランド人として、本日の祝典にてご挨拶できますことを光栄に存じます。天皇陛下御即位20年を祝し、レフ・カチンスキ ポーランド共和国大統領、ドナルド・トゥスク ポーランド共和国首相をはじめ、ポーランド国民からの、心からのお祝いをお伝え申し上げます。陛下の益々のご健勝とご多幸、そして日本にとりまして実りある成果をもたらしつつ、陛下が今後も永きにわたり御在位されますよう、衷心よりお祈り申し上げます。20年前に平和の時代に生まれた子供たちは、すでに一世代と言ってもよい、成人を迎えました。

  2002年、待ちに待った両陛下によるポーランド公式ご訪問が実現され、両陛下をお迎えできましたことは、ポーランド国民にとりまして大きな光栄であり、喜びでありました。ご訪問頂いたワルシャワやかつての首都であったクラクフの地で、両陛下をお迎えできたポーランド国民の熱狂と歓喜の声はいまだに忘れられません。

  ポーランドと日本皇室の歴史の始まりは、1925年に朝香宮鳩彦(あさかのみややすひと)殿下が、その5年後の1930年には高松宮宣仁(たかまつのみやのぶひと)殿下と喜久子妃殿下が訪問されたことに遡ります。その際、ポーランドへのご訪問を迎え入れたのが、ポーランド共和国建国の父である当時の国家元帥、ユゼフ・ピウスツキでした。両国の交流の歴史は非常に古くから始まりますが、盛んになってきたのはおよそ100年前からであったと言えましょう。ポーランドは自国の再生を夢見ながら、日本人の内に潜む個人主義とは相反(あいはん)した、全力を国家の為に傾ける気高い精神に感嘆せずにはいられませんでした。日本とポーランドの間で国交が樹立されてから今年で90周年を迎えます。皇后陛下がポーランド人の作曲家フリデリック・ショパンの作品を好まれ、ご自身でも演奏されるということも伺っております。

  最後に、古(いにしえ)より続くある美しい歌について一言申し上げたいと思います。小石が寄り集まってやがて巨大な巌(いわお)となり、その長い時の流れの中で巨大な岩に苔(こけ)むすように、揺ぎなさの神髄を、そして自然に潜在する悠久を私たちに語りかけてくる歌。「君が代」で始まるこの歌の言葉と調べは私たちポーランド人に深い感銘を与え続けています。

  この歌と、田植や稲刈りをなさる天皇陛下、そしてご養蚕をなさる皇后陛下のお姿は私の記憶に深く刻まれ、そのお姿を思い出しては、純粋で美しい生活の営みや自然との関わりによる国民と君主の結びつきがいかに重要なものであるのか、日々思考を紡(つむ)いでいる次第でございます。

  平成の世が千代に、そして八千代に続きますよう、お祈りいたしております。


今の多くの日本人よりも日本の心がおわかりになっているのではないでしょうか。
素敵な祝辞で、ますますポーランドが好きになりました^^


いい話には記載していない内容の追記です。

孤児の一人、イエジが十七歳の青年となった一九二八年、日本との交流を深める為に、シベリア孤児たちの組織「極東青年会」を組織し、自ら会長となりました。
極東青年会は順調に拡大発展し、国内の九都市に支部が設けられ、一九三〇年代後半の最盛期には会員数六百四十余名を数えたといいます。

極東青年会結成直後にイエジ会長が、日本公使館を表敬訪問した時に思いがけない人に会った。
イエジ少年がシベリアの荒野で救い出され、ウラジオストクから敦賀港に送り出された時、在ウラジオストク日本領事として大変世話になった渡辺理恵氏でした。

その渡辺氏が、ちょうどその時ポーランド駐在代理公使となっていたのです。
これが契機となり、日本公使館と、極東青年会との親密な交流が始まり、極東青年会の催しものには努めて大使以下全館員が出席して応援し、また資金援助もしました。



一九三九年九月一日午前四時四十五分ナチス・ドイツがポーランドに侵攻しました。
第二次世界大戦の勃発です。
と同時にドイツと密約を交わしていたソ連もポーランドに侵攻しました。

イエジ青年は、極東青年会の本部を孤児院として開放し、戦禍で親を失った戦災孤児たちを庇護しました。
そして極東青年会幹部を緊急招集し、勇士を募ってレジスタンス運動参加を決定しました。
イエジ会長の名から、この部隊はイエジキ部隊と愛称されました。
祖国の危機にやがて孤児たちも参加し、一万数千名を数える大きな組織に膨れあがりました。

ワルシャワでの地下レジスタンス運動が激しくなるにつれ、ナチス当局の監視も厳しくなり、ある時とうとう孤児院に三名のドイツ兵が押し入り、強制捜査を始めました。

一人の子供が隙を見て逃げ出し日本大使館に知らせに行き、急報を受けて駆けつけた日本大使館の書記官はこう言い放ちました。
「この施設は日本大使館の保護下にある。子供たちに謝罪して下さい。」
そして孤児院院長を兼ねていたイエジ部隊長と孤児たちに向かって、「君たち、このドイツ人たちに日本の歌を聞かせてやってくれないか」と頼みました。

イエジたちが日本語で「君が代」や「愛国行進曲」などを大合唱すると、ドイツ兵たちは呆気にとられ、「大変失礼しました」といって直ちに引き上げました。
以降、ドイツ兵は二度と孤児院には姿を見せなかったといいます。

当時、日本とドイツは三国同盟下にあり、ナチスといえども日本大使館には一目も二目も置かざるを得ない状態にあり、日本大使館はこの三国同盟を最大限に活用してイエジキ部隊を庇護したのでした。

 

・広田弘毅とポーランド

日露戦争時、松山の捕虜収容所に収容されていたロシア軍捕虜の約3割は、ポーランド軍人でした。
来日したユゼフ・ピウスツキが川上俊彦(としつね)・駐ヴラジヴォストク貿易事務官(後に在ポーランド初代公使)と後に外相となる広田弘毅(当時東京帝国大学生)を伴って同収容所を訪れ、ロシア人とともに収容されていたポーランド人捕虜を比較的良い環境に分離しました。

 一九二七年、広田がオランダ公使として任地へ赴任する途中ワルシャワに立ち寄ると、ピウスツキは駅で出迎えました。
ポーランド側は戦後東京裁判において、ロメル元駐日ポーランド大使が口上書を法廷に送り、広田の功績を挙げて無実を主張しました。


・杉原千畝領事代理による「命のビザ」発給

 第二次世界大戦中の一九四〇年、リトアニア首都カウナス(当時)日本領事館の領事代理であった杉原千畝氏が約六千人のユダヤ系ポーランド人、リトアニア人に日本通過査証を発給し、ナチスの迫害に遭った多くのユダヤ人が日本経由で米国等第三国に脱出することができました。
 ポーランド政府は一九九六年、杉原氏の功績を称え、功労勲章コマンダー十字章を授与しました。


・音楽コンクールと日本人

 (1)五年に一度ワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクールは、世界で最も権威あるピアノコンクールで、若く才能あるピアニストたちの登竜門になっており、日本人も多数参加しています。
 これまで、中村絋子さん、内田光子さん、小山実稚恵さん等が入賞しており、二〇〇五年度コンクールでも関本昌平さん、山本貴志さんの二人が四位に入賞しました。

(2)ヴァイオリンのヴィニアフスキ国際コンクール(ポズナン)も有名で、漆原啓子さん(一九八一年優勝)をはじめ多くの日本人ヴァイオリニストが入賞しています。

(3)カトヴィツェで開催されている「フィテルベルグ国際指揮者コンクール」も有名なコンクールの一つであるが、一九八三年に開催された同コンクールでは今村能(ちから)氏が優勝しました。
 今村氏は二〇〇二年以降ポーランド国立歌劇場の常任指揮者を務めるなど、ポーランドにおいても積極的に活躍しています。



いかがでしたでしょうか。




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皇紀2670年3月21日

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テーマ: 歴史

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